我家にはほんの少しですが、山があります。
このあたりで「山」と言えば植林した山の事をいいます。
その山に母と息子と一緒に行って来ました。私は25年ぶりに、息子は初めてです。
25年前に父に連れられて木起こしと草刈をした山です。
かすかな記憶を頼りに・・・当時とは道も変わりここかな~と。
道から谷沿いを上り・・・目印は桧の林。この辺りは杉の植林ばかりで、桧を植林したのは少数派です。
56年の豪雪で植林していた杉がほぼ全滅、場所的に山頂付近という事もあり杉よりも桧の方が適しているだろうと植林し直ししました。その後、父と母は10数年手入れをしたそうですがあまりにも木の値段が・・・将来が見込めない、結局放置しました。
我家だけでなく我村には似たような状態の所が多々あります。また、56年の豪雪で被害を受けたまま手つかずの状態の所はもっとあり、折れた杉や草、雑木が混在しています。
祖父はその昔(私が幼少のころ)県の植林事業を請け負って奥山に入り、泊りがけで植林をしていました。
その山に近所の人に連れて行ってもらった事があります。杉の木が地を這いつくばり蔓にからまれ・・・人の手が入らなくなるとここまで無残な状態になるのか!と。元々は実のなる雑木林があっただろう。それを切り開いて植林、ある期間、手をかけてやるといい人工林になったはずなのに予算の打ち切り、事業がとん挫・・・、祖父達がかけた労力は・・・、山も中途半端に置き去りにされています。人間て何をしているんだろうって思います。
また、手が行き届いて出し頃の木があっても木の値段が安すぎて伐り出す手間賃の方が・・・、出すに出せない状況。
あるメーカーの人に言われたことがあります。「勝山の山の木を伐りだし、福井の市場に並んだ金額よりも地球の裏側から持ってきて日本に上陸した値段の方がや安いですよ」と。なんともやるせない話です。
木造の住宅を造る者として、本来なら「近くの山の木で家をつくる」、その家は木がまた育つまで十分長持ちするような家でなければならない、そのように地域の中で循環していけるような・・・そんな仕事をしなければならないのですが、私には、力がありません。ただ、近くとは言いません、少しでも国産の木を使ってもらうよう木の良さを言い続けています。